半蔵門線でGO☆3.0

半蔵門線に繋がる田舎から都内に通う中年サラリーマンの何食べた何処行ったを綴ります。 飛行機好きで、たまにふらっと旅にも出かけます。

November 2013

王子からの帰り16号を春日部に立ち寄ったんですが、師走の月末だけに道路は大渋滞でした。
春日部のユリノキ通り沿いにJ系なお店ができてました。
ニンニクどうしますか?
はい、今日は休みなので入れさせていただきますw
この看板はどこか風ですよね。
そうです。ジャンクガレッジから独立されたお店のようです。
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大阪や西日本ではもう雪が降ったみたい。
今年の冬は雪がなんとなく心配なので早めに愛車C5も冬支度を。
久しぶりにスタッドレスを履くことにしました。
とはいってもお財布事情が厳しいので安いスタッドレスを探して見つけたのが韓国のクムホは I'ZEN KW31というスタッドレスタイヤです。
ハンコック、ナンカンと韓国や台湾のタイヤは今では欧州車の純正に採用されたりもしています。
クムホタイヤはアシアナと同じ韓国の財閥である錦湖(クムホ)グループの一員で安かろう悪かろうの中国製よりは信頼がおけそうです。
とはいってもアジアンタイヤに対する市場でのクチコミは辛口ばかしですが、信頼する矢東タイヤさんが扱ってるので試してみることに。
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仕事を終えて珍しく上司の誘いで同僚と立ち寄った中華料理店。
なんといっても呑み放題と料理が付いて一人1,980円はお得値。
上司の奢りということで。
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商用で出かけた池袋で二郎でもと思ったがかなりの行列ができていたので諦めて久しぶりに屯ちんへ。
東京とんこつを掲げたお店も今ではチェーン展開に。
できた頃は呑んだ帰りによく寄ったもんでした。
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今月25日に元セゾングループ代表堤清二氏がご逝去されてたそうです。
70〜80年代の文化を大きくリードした方でした。

小生が20代半ば。
高校を出て上場のアパレル企業で働き出し6年後に流通の仕事を極めたいと思った憧れの先が西武セゾングループでした。
世の中は「不思議大好き」や「おいしい生活」のキャッチを始め西武百貨店の発信するトレンドに敏感に反応する時代でした。
新卒で就職前の冬休み、当時の係長さんのご英断で高校生ながら始めて池袋西武の紳士靴売場でアルバイトで販売をさせていただいた頃から当時の西武流通グループに興味を持ち業界本なんかも読み漁りました。
そんな小生が数年後に当時西友の一事業部にすぎなかった無印良品の直営二号店のスタッフ募集に応募し100人近くの中から採用が決まった時は大喜びでした。
結局、配属は西友本体だったんですがw

その後、西武百貨店の子会社に移りベネトンの事業会社で営業を30代前半まで務めました。
この頃の西武百貨店は堤代表が抜擢した渋谷店店長の水野氏が社長になられSEED館やLOFT館を作られ今のLOFTに繋がってるんですよね。

小生が一回、セゾンを離れ就職難に見舞われた頃に再び西武自動車の流れを引いたクライスラーの日本法人に入れたのもセゾングループとの縁なんだと思います

生活総合産業を目指したセゾングループはまさに商社そのものでした。
西友時代、セゾン劇場ができた時のこけら落としが「カルメンの悲劇」でしたっけ?
銀座にセゾン文化を象徴する施設ができたことでバッチを付けて売場に立ちました。
セゾングループの良かったところは連帯意識がすごく強かったんです。
シナジー効果は定期誌セゾンジャーナルで伝えられグループの拡大に一喜一憂したもんです。

アメリカのシアーズとの取り組みや潰れた大沢商会や𠮷野家を再建させたことも堤清二代表の目指す生活総合産業の流れからすれば当然のことだったのでしょう。

フランス文化に大きく理解を示された氏はエルメスをいち早く日本に紹介しシトロエン、プジョーといったクルマのインポーターまで手掛けられたのは経営者でありながら辻井喬という文化人であったからこそ。

義明氏の国土計画と張り合った結果、不動産事業に手を広めバブル後グループ崩壊に繋がった訳ですが、その文化は母体こそ変わりましたが今でもMUJIやLOFTに代表される企業に受け継がれています。

80年代に初銀座出店でグループのショールームの役割を担った有楽町西武。
今はルミネになってしまいましたが、堤清二元代表の訃報を有楽町の地で知ったのも何か感慨深いものです。

ご冥福をお祈り申し上げます。
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お店周りの途中、ジャポネの列に並んでみました。
三時近くなのに10分待ち。
相変わらずの人気店です。
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